セクシュアリティの概念 1.セクシュアリティとは何か セクシュアリティとは何だろうか。単純に考えれば、英語のsexuality、すなわちsexual(性的な)の名詞形sexuality(性的なこと)をカタカナ表記したものだとも思える。しかし、日本語で現在用いられるセクシュアリティという用語は、sexualityの中でより限定された概念が、主として用いられているようである。 近年、個人の性は、個人に属するものであり、社会や制度、医療や家族などから、強要されたり、押しつけられたりするものではないという認識が世界的に高まっている。このような文脈における性を示す英語圏の用語としては通常sexualityが用いられる。例えば、1999年の香港における世界性科学会議で採択された、性の権利宣言は次のような文章で始まる。”Sexuality is an integral part of the personality of every human being."”(セクシュアリティとは、人間ひとりひとりの人格に不可欠な要素である。) 日本においても諸外国と同様に性に対する個人の権利意識は高まりつつあり、そのような中、sexualityという用語は、その権利の概念と共に輸入されカタカナのセクシュアリティとして広く用いられるようになったと思われる。すなわち、日本におけるセクシュアリティとは、単に性的なことを包括的に示すsexualityという意味だけでなく、「個人の人格の一部であり、他者から強制されたり奪われたりするものではない」という権利意識も同時に含有しつつ用いられているのである。 我が国では医学用語としてセクシュアリティが使用されているわけではなく、その厳密な定義付けは困難であるが、上述した理解のもと筆者の私見をまとめると以下のようになり、以後の文中では、その私見に従って、セクシュアリティという用語を使用する。 「セクシュアリティとは、社会や制度や医療などの外的なものによって決定されたり、強要されたり、奪われたりするものではなく、個人に属し、由来し、関係し、個人の人格の一部を構成し、個人の基本的人権の一つとして不可欠なものであるという理念を含有する、個人の性的なことがらを包括的に示す概念である。」 2.セクシュアリティの構成要素 セクシュアリティを構成するものにはどのようなものがあるか。その主要なものを示すことにする。これらの構成要素は互いに関係し影響を与えあっているが、それぞれ別個のものとして理解されている。個人のセクシュアリティを考えるときは、これら個々の構成要素をそれぞれに考えていく必要がある。 1)身体的性別 英語ではsexであり、性染色体、性腺、性ホルモン、内性器、外性器などの、身体的な男女の性別を指す。身体的な性別はsexの語源をたどっていけば切る、分けるという意味のラテン語secare(section切断、segment切片などもこの語より派生)に由来することが示すように、従来は男性の身体、女性の身体へと明確に二分される、ないしはすべきものとして考えられててきた。しかし、従来タブー視されたり、男女どちらかの典型的な身体を医学的に割り当てていたインターセックス者への医学的関与方法が再検討される現在、身体的性別とは明確に二分されるものではなく、インターセックス者のもつさまざまな身体的性別状態が示すように、多様な中間的ないしは移行的状態のありうるものとして、理解され始めている。 2)心理的性別 ジェンダーアイデンティティー(gender identity)とも言われ、心理的な自己の性別認知である。「自分は男である」「自分は女性である」「自分は男性でも女性でもない」などの性別認知がある。多くの場合、心理的性別は、身体的性別と一致しているが、性同一性障害の場合は一致せず「自分の体は男だが心は女だ」などのように認知している。彼らがそのように認知しているのは、好きこのんでそう思っていたり、性的快楽を得たいからであったり、何らかの経済的利得が目的であったり、妄想などの精神病症状によるわけではない。多くの性同一性障害者は物心ついたときにはすでに自分の心理的性別を身体的性別とは一致しないと感じていて、そのことに多大に苦悩し、さまざまな努力を試みるのだが、決してその心理的性別は変化しないものなのである。性同一性障害の中で特にSex Reassignment Surgery(SRS、性別再割り当て手術)(過去には性転換手術と呼ばれていた)によって体の性別変更を求めるものをTranssexualトランスセクシュアルといい、もっと幅広く自分の性別全般に違和感を持つものを、Transgenderトランスジェンダーという。 3)社会的性役割 gender roleやsocial sex roleといわれ、社会生活を送る上での性役割を示す。例えば女性であれば、典型的には、スカートをはき、化粧をし、「女らしい」言葉遣いや態度をし、行動することが性役割と見なされる。この社会的性役割は通常は身体的性別、心理的性別と一致する。性同一性障害の場合、心理的性別と一致した性役割を果たすこともあるが、経済上の理由(身体的には男性の性同一性障害者が女性の格好で職場に行くと解雇のおそれがある)、家庭環境(離婚のおそれ)等で、心理的性別とは反対の性役割で過ごすこともある。性同一性障害以外でも職業上の理由(芸能、接客業)などで、自己の性別とは一致しない性役割で過ごすものもいる。またそのような特別な例でなくても、近年男女の社会的性役割の境界が緩やかになったとはいえ、典型的な社会的性役割からはずれた行動をとると、「女のくせに」「男なら男らしく」などのように社会的な非難、圧力がかかることがある。 4)性指向 sexual orientationといい、性的魅力を感じる対象の性別が何かである。同音の性嗜好や性志向と誤って表記されることがあるが、「性指向」という漢字表記が正確である。異性愛、同性愛、両性愛、無性愛(男女いずれにも魅力を感じない)がある。現在の精神医学では異性愛以外も異常と見なされない。当事者を中心にして、男性同性愛者はゲイと、女性同性愛者はレズビアンと呼ばれることも多い。同性愛と性同一性障害は混同されることがあるが別個の概念である。例えば、男性に性的魅力を感じるからといって、心理的性別が女性とは限らないし、心理的性別が女性だからといって男性に性的魅力を感じるとも限らない。 5)性嗜好 sexual preferenceといい性的興奮を得るために、どのような興奮や空想を欲するかということである。通常は同意を得た年齢相応のパートナーとの抱擁や性交によって、興奮することが多いが、その他のもので興奮するものもいる。下着等の物品、SMやのぞき、あるいは同意のない痴漢や、幼児が対象のものもいる。他者に迷惑のない性嗜好は、セクシュアリティの一つの形として尊重されるべきだが、他者に迷惑や危害を加えたり、他者の同意の得てない性嗜好行動は制限されるべきである。 6)性的反応 性交等の性的状態時における身体および心理的反応である。性的反応は、欲求相、興奮相、絶頂相、解消相の4段階に分かれる。性的反応が障害されると勃起障害、オルガズム障害などの性機能不全をきたす。性的反応も個人差の大きいものであり、それぞれの反応がその個人のセクシュアリティのあり方として尊重されるべきであろう。 7)生殖 生殖に関してはさらに生殖能力(産める、産めない)の問題、生殖意志決定(産む、産まない)の問題それぞれに分けて考えていくことができよう。女性に関しては特に、1994年のカイロ会議(国際人口開発会議)以来、リプロダクティプ・ヘルス/ライツの観点でセクシュアリティの一つとしての生殖への注目が高まっている。 3.諸問題への基本原則 セクシュアリティに関する諸問題に対しての現在の医学的対応の基本原則のいくつかを述べたい。 1)個々のセクシュアリティを尊重する 従来の性的問題に対する医学的処置は「少数者は異常だから正常である多数者と同じに」、が基本原則だったと思われる。しかし、近年セクシュアリティの概念が広まるにつれ、その基本原則は変化し、さまざまなセクシュアリティのあり方を認める方向に移りつつある。このことをインターセックス、同性愛、性同一性障害の例を挙げて具体的に示していく。 インターセックスへの処置方法は従来、できるだけ早期に、男女どちらかの身体的性別 へと可能な限り近付けるべきだとされてきた。そのために例えば、肥大化した陰核が切除されたり、あるいは極小のペニスを有するものは、女性性器へと作り変えたりされてきた。 しかし、これらの処置を幼年期に受けたものが、思春期を迎え、さらに成人するにつれ、彼らの間からその医療行為への批判が起きた。「自分の体に断りもなく、なぜ手術をした。」「大きくても陰核を残して欲しかった」「小さくてもペニスを残して男性として育てて欲しかった」などと。これらの当事者達の意見に対して、M.Diamondは身体的な性別の多様性を尊重し、曖昧な性器をそのままにする保存的な処置方法を提唱し、新たな治療指針として注目されている。 同性愛に対しては「異性愛でないのは異常だ」との考えから、かつてその性指向を異性愛に無理に変更させようとする精神医学的治療の試みがなされた。しかし、それらの治療は失敗に終わり、長期的に見た場合、性指向を変更させるのは困難であった。さらに当事者を中心に、そもそも同性愛を異常と見なすことへの疑問が高まり、1973年、米国精神医学会の理事会はDSM-II(精神障害のための診断と統計の手引き第2版)から同性愛を削除することを承認した。WHO(世界保健機構)も、1994年ICD-10(国際疾病分類第10版)において「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」という宣言を行った。これらの経過を経て、同性愛は現在は一つの性指向のあり方として認められ、医学的治療対象とはされていない。 性同一性障害に対しても、同性愛に対してと同様にかつてその心理的性別を無理に変更しようとの治療が試みられたことがあった。しかし、ここでも同様にその変更は困難であり、その逆に「身体的性別を心理的性別に合わせる」という指針に基づいた治療が行われるようになり、諸外国で広く行われることとなった。日本では、1969年性転換手術を行った医師に対して有罪判決が下されて以来、その治療はタブー視されてきたが、1998年以来、埼玉医科大学で、手術療法が行われるようになったのは記憶に新しいところである。しかしこれらの外科的療法実施には、当事者自身の強い要望があると同時に、「体と心が一致することで正常になる」という医学的思想もその背景にはあった。この思想に対して、「体と心の性別が一致しなくていいではないか。人の心理的性別や身体的性別はさまざまであっていいではないか」という新たな考えが当事者達を中心に起こってきた。この考えを受け、現在の治療指針は、特に精神療法の段階において、「体と心が一致しないままのさまざまな性別のありようで適応していく」ことも一つの選択肢として、当事者に呈示されるようになってきている。 以上の例に述べたように、最近の医学的治療指針の流れは、「少数者を多数者にする」のではなく、当事者達のさまざまなセクシュアリティのありようを尊重し、支持する方向へと移ってきている。 2)自己決定に対し情報を与える 1)で述べたように当事者達のセクシュアリティを尊重しても、当事者自らが「多数者に近づく」治療を望むことがある。例えば、インターセックスのものが、男女どちらかの典型的な体を望む場合や、性同一性障害者が心理的性別に合致した身体的性別を求める場合などである。これらの場合、どのような医療を選択するか当事者達が自己決定するにせよ、その決定は、十分な医学的情報を与えられた中でなされるべきである。いくつか選択可能な医療手段が呈示され、それぞれが、どのような影響、副作用、後遺症、あるいは逆に、利点があるのかを、十分に説明する必要がある。 3)二次的精神症状やその他の医学的問題に対応する セクシュアリティが少数派のものは、多くの場合、社会や学校、家庭などにおいて、差別されたり、孤独を感じたりしている。そのような中、二次的に抑うつ不安状態、アルコール依存、対人関係上の問題などを抱えるものも少なくない。それらのものに対しては、カウンセリング等の心理的援助が必要であろう。また、セクシュアリティの問題を訴えるものの中には、別の医学的問題も同時に抱えているものもいる。セクシュアリティの問題にばかりに目を奪われると、その他の問題を見落としてしまいかねない。セクシュアリティの問題だけでなく、同時に、他の問題もないか客観的に評価することも必要である。 4.公衆衛生に携わるものの役割 では公衆衛生に携わるものが、果たす役割とは何であろうか。筆者の考える果たす役割および、そのために必要なことを以下記したい。 1)自己のセクシュアリティを知る 他者のセクシュアリティを十分に理解するには難しい。それが、少数者のものであればなおさらである。どうして同性を好きになるのだろう、どうして体の性別とは反対に自分の性別を認識するのだろう、どうしてそんなことで性的に興奮するのだろう、このように他者のセクシュアリティに関してはさまざまな疑問がわき起こり、その疑問は簡単には解けないであろう。このような場合には、孫子の兵法の「敵を知り己を知れば」ではないが、まず自分のセクシュアリティを十分に知ることに目を向けることが有用であろう。自分の身体的性別は?心理的性別は?なぜそう思う?これまで同性に魅力を感じたことは?なぜ?「普通の」性交以外で興奮することは?性交中はどんな反応を?子供を産む能力は?このように自分自身に問いかけることで、自己のセクシュアリティの中に、少数者のセクシュアリティと共通のものを見いだすかもしれない。あるいは、「同性に魅力を感じる」理由が理解できないのと同様に、自分が「異性に魅力を感じる」理由も理解できない、といったように、かならずしもセクシュアリティの全てが論理の上で説明がつかないことを見いだすかもしれない。また、他者のセクシュアリティに対する自分の反応は、その人自身のセクシュアリティの問題に由来することに気付くかもしれない。このように自己のセクシュアリティへの認識の深めておくことは、他者のセクシュアリティを理解していく上で有益な準備となるであろう。 2)情報を知る セクシュアリティに関する情報を知ることは二つの側面から有用である。第一にはセクシュアリティへの理解を高める。知らないものに対しては、恐怖を感じたり、関心を持てなかったりするが、正確な情報の蓄積は、他者のセクシュアリティへの受容度および共感性を高めるであろう。第二に相談する当事者に有益な情報を与えられる。当事者自身が必ずしも自己のセクシュアリティを正確に把握しているとは限らない。そこで、正確な情報を与えることができれば、当事者自身の自己理解の助けとなるであろう。また直接的情報でなくても、どこに行けば治療が受けられるか、どうすればより詳しい情報が得られるか、どんな自助グループがあるかなどの情報も、当事者への有用な援助となる。 3)多様性を受け入れる セクシュアリティが少数派である当事者達が最も望み、最も必要としていることは多くの場合、他者から受け入れられることである。彼らと対峙した場合に、第一に必要なことは、そのままの形の彼らを受け入れることである。しかし、逆に彼らを受け入れることは、困難なことでもある。自分とセクシュアリティが違うという理由だけで、我々の心には嫌悪、不快、恐怖などのさまざまな感情がわき起こり、自己のセクシュアリティが揺さぶられ、その結果として拒絶したり、差別しようという気持ちになりやすい。セクシュアリティの多様性を受け入れるというのは、言葉で言うほど容易なことではないのである。しかし、上述した1)自己のセクシュアリティを知り、2)情報を知ることは、多様性を受け入れる手助けとなるであろう。自己のセクシュアリティをしっかりと把握すればその動揺も減り、正確な医学的理解は、否定的感情の抑制に効果があるだろう。その上で、当事者の人格全体と対峙すれば、そのセクシュアリティも受容しやすくなると思われる。 4)社会へ啓蒙教育する 個人的にセクシュアリティの知識を深め、その多様性を許容できるようになれば、それを社会へと広げていくことも職務の一つであろう。少数派のセクシュアリティを有するものの困難、悩みの多くは、社会の無理解、拒絶に由来する。今後、社会への啓蒙教育が進み、社会全体がセクシュアリティの多様性を理解し、許容するようになれば、少数派のセクシュアリティを有するものの多くが医学的介入なしに、心理的、身体的、社会的な健康を改善し、増進するであろう。 5.おわりに 先に紹介した性の権利宣言の全文を紹介することで終わりの言葉にかえることとする。 参考文献 1)Diamond, M. and Karen, A.:Sexual Decisions, Little Brown and Company,1980(田草川まゆみ訳:人間の性とは何か.小学館,1984) 2)Diamond, M. and Sigmundson,H.K.:Management of intersexuality:guidelines for dealing with persons with ambiguous genitalia(針間克己訳:インターセックスのマネージメント.助産婦雑誌54(2),2000,印刷中) 3)針間克己:パラフィリア.ペリネイタルケア1998夏期増刊 リプロダクティブ・ヘルス/ライツ,北村邦夫編,223-226 メディカ出版、大阪(1998) 4)針間克己:性同一性障害の心理療法.臨床心理学大系19.金子書房,東京(印刷中) 5)東優子:第14回世界性科学会会議報告−性の権利(セクシュアル・ライツ)宣言の採択−.現代性教育研究月報17(10):1-6,1999 6)日本性科学会 日本セックスカウンセラー・セラピスト協会:セックスカウンセリング入門.金原出版,東京,1995 |