2000年の「臨床精神医学講座S4摂食障害・性障害」に収められた論文です。
性反応の中での性的欲求の障害と性的興奮の障害について論じています。


1.性的欲求の障害

a.欲求相概念とその歴史

 いわゆる「性欲」は人間の基本的な欲求の一つとして古くから知られたものであり、精神医学においても、精神分析理論を中心として「性欲」の概念は一世紀近く大きな役割を担ってきた。しかし、性反応の段階の一つとして「欲求相」が認知されたのは比較的最近のことである。従来は、「性欲」とは性行動全般に対して広く用いられ、その障害を示す「性欲の量的異常」や「性欲の質的異常」の意味するところは、現在における興奮相やオルガズム相の障害、パラフィリア、性同一性障害、同性愛をも含むものであった10)。
 欲求相とは興奮相に先立って性反応周期の始まりとなる相であり、性的活動についての空想および性的活動をしたいという欲求からなり、その概念の形成は、近年の性科学の発展の中で、性反応段階の詳細な観察と性障害治療の蓄積の中でなされてきた。
 現代の性科学の礎を築いたMasters & Johnson27)の大きな功績の一つは、性行為中の身体的性反応を詳細に観察し、記録したことである。その結果、性反応の段階は、休息期から、興奮期、高原期、オーガズム期、解消期へと進んでいくことが見いだされた。しかし、そこでは身体的反応を伴わない心理的性反応段階である欲求相が見いだされることはなかった。またMasters & Johnsonに引き続き、セックスセラピーを発展させたKaplan19)も当初は、性障害を興奮相の障害および、オルガズム相の障害に分類して治療を行い、欲求相の障害には着目していなかった。しかし、その後Kaplan20) は治療失敗例を詳細に分析していく中で、失敗例では興奮相の前の段階すなわち欲求相に問題があることに気がつき、欲求相の存在、および欲求相の障害の存在を認識することとなった。その結果、Kaplanは性反応の周期を欲求相、興奮相、障害相の三相へ分類することを提唱し、DSM-IIIよりその三相概念は性障害分類の理論的基盤となった。
 性欲相の障害はDSM-IIIにより性的欲求の抑制(Inhibited Sexual Desire)として疾患単位となり、DSM-III-Rではさらに性的欲求低下障害(Hypoactive Sexual Desire Disorder)と性嫌悪障害(Sexual Aversion Disorder)の二疾患へと分類され、DSM-IV4)へと至っている。 
 
    b.性的欲求低下障害
1)概念
 性的欲求低下障害は、性反応段階における欲求相の障害であり、DSM-IVによればその基本的特徴は、性的活動の欲求と性的空想の持続的または反復的な欠如または不足である(基準A)。欠如または不足の判断は、患者の特徴、対人関係、生活状況、文化的状況等を考慮し、臨床的に下される。 DSM-IVではさらに診断基準として、著しい苦痛または対人関係の困難を引き起こしていること(基準B)、(他の性機能不全を除く)他の第1軸障害ではうまく説明されず、物質または他の一般身体疾患の直接的な生理作用のみによるものでもないこと(基準C)を挙げている(表1参照)。
2)鑑別診断
 DSM-IVにおいては、性的欲求低下障害は、一般身体疾患や物質によってのみ引き起こされる性機能不全とは区別される。性的欲求低下障害を起こしうる身体疾患には、テストステロン量の異常をきたす下垂体疾患や精巣性疾患等があり、アルコールや睡眠薬の乱用、降圧剤、抗アンドロゲン剤等の使用も、障害を起こしうる21)。
 一般身体疾患は、痛み、疲労感、死への不安、身体心像への問題(乳房切除術後等)などで、間接的に性的欲求低下障害をきたすことがある。これらの場合のように、身体疾患の直接作用のみでなく、心理的要因も関与していると判断される場合には、性的欲求低下障害、混合性要因によるもの、と診断される。
 性的欲求低下障害が、大うつ病性障害などの他の第1軸診断でうまく説明される場合には、性的欲求低下障害の診断は下されないが、性的欲求の低下が第1軸診断に先立って存在する場合には、追加診断が与えられる。
3)臨床的特徴
 性的欲求低下障害の有病率に関する信頼できる研究は乏しいが、性障害治療を行う医療機関での性的欲求障害患者(性嫌悪障害患者を含む)の占める割合は増加傾向といわれる。Kaplan23)の統計では、性障害患者の37%(2122/5580)が性的欲求障害で、さらにその80%、つまり全体の30%(1695/5580)が性的欲求低下障害であり、患者数の男女比はほぼ等しい。日本の阿部3)の統計では、性的欲求低下障害は性障害患者の7.9%(65/827)であり、全例が男性であった。筆者の経験でも、男性の性障害患者のパートナーとして来院する女性の中に、獲得型、状況型の性的欲求低下障害と診断されるものはいたが、性的欲求の低下を主訴とする女性受診者はいなかった。米国におけるKaplanの統計と比較して、日本で女性の性的欲求低下障害が少ない理由の一つとして、日本では女性の性欲が低下していても、それを異常だと認識することや、訴えることが少ないことが考えられる。
 性的欲求の低下は、他の性機能不全と関連していることが多い。性的欲求の低下は、一次性のこともあるが、他の性機能不全によって引き起こされた情緒的苦痛の結果である二次性の場合もある。性的欲求低下障害では、興奮相やオルガズム相の障害が引き続く場合があり、Segraves34)によれば一次性の性的欲求低下障害の約40%が、二次性に興奮相および、オルガズム相の障害を伴うという。また、性的欲求低下障害では、感情障害の既往をもつものが多いとSchreiner-Engel33)は報告している。
 性的欲求低下障害者の性格は、依存的で、抑うつ的で、不安が高いとの報告がある11)。性的欲求低下障害者とそのパートナーとの関係性については問題があるといわれ、このことは、性的欲求低下障害の原因の一つとして論じられることもあるが、性的欲求低下障害の結果、関係性が悪化するとも考えられる。
4)成因論
 性的欲求の障害の原因については、Kaplan23)は「性的誘因の制御不全
(Dysfunctional regulation of sexual motivation)」というモデルを用い説明している。この仮説によると、正常の性的欲求の場合、アクセルとブレーキすなわち刺激系と抑制系によって性的欲求はバランスよく制御されている。性交後ある期間たてば性的刺激に対し性中枢は「スイッチが入る(turn on)」状態となる。性交後の満足した状態や、「闘争か逃避か」という事態では性的欲求は起こらない。しかし、この制御システムがきちんと作動しなくなると性的欲求の障害を起こす。性的欲求低下障害を有するものは、無意識的に性中枢の「スイッチを切る(turn off)」、すなわちタ−ンオフメカニズムturn off mechanismを用いている。ここでは、性的欲求を抑制する要因であるパートナーの否定的側面や不快なことがらを選択的に焦点化し、性的欲求を刺激する要因であるパートナーの魅力的側面は無視し、身体的性刺激や性的空想も避ける。その結果性中枢はスイッチの切れた状態となり、性的欲求は生じない。ターンオフメカニズムが起きる心理的背景として、不安、恐怖、怒りなどがある。これらの心理は、文化的に規定される罪悪感、自己をコントロールできなくことへの恐怖、予期不安、過度の親密差への恐怖、パートナーへの怒り、早期発達段階に由来するものなど、多面的で、表層的なものから深層的なものにわたる要因で構成されている。
 不安と恐怖が、性的欲求に与える影響をBeck5)は実験的に調査している。男女共に、不安および恐怖は、対照群と比較して有意に性的欲求を低下させた。また、男性においては、恐怖は性的欲求の低下と勃起障害を起こす一方で、不安は性的欲求の低下を起こすが勃起障害は起こさなかった。  
  
c.性嫌悪障害 Sexual Aversion Disorder
1)概念
 本疾患は、1970年代後半から1980年代前半にかけ、欲求相の障害の研究の中でCrenshaw9)やKaplan22)によって概念化され、phobic avoidance of sex(恐怖症的性交回避)、sexual aversion(性嫌悪)、 sexual phobia(性交恐怖)などの疾患名が提唱されたが、DSM-III-Rにおいて性嫌悪障害が性的欲求の障害の下位分類の疾患単位として採用されることとなり、その後DSM-IVへと引き継がれている。  性嫌悪障害の基本的特徴は、DSM-IVによれば性的伴侶との性器による接触に対する嫌悪と積極的な回避である(基準A)。DSM-IVではさらに診断基準として、著しい苦痛または対人関係の困難を引き起こしていること(基準B)、(他の性機能不全を除く)他の第1軸障害ではうまく説明されないこと(基準C)を挙げている(表2参照)。
2)鑑別診断
 性的嫌悪が、強迫性障害などの他の第1軸診断でうまく説明される場合には、性嫌悪障害の診断は下されないが、性嫌悪が第1軸診断に先立って存在し、独立した臨床的関与の対象となっている場合には、その追加診断が下せられる。性的欲求低下障害との鑑別、関連については後ほど論じる。
3)臨床的特徴
 性嫌悪障害の有病率に関する信頼できる研究は乏しいが、既述したように、性障害治療を行う医療機関での性的欲求障害患者の占める割合は増加傾向といわれる。Kaplan23)の統計では、性障害患者の7.4%(414/5580)が性嫌悪障害であり、男性41%(170/414)女性59%(244/414)の男女比であった。阿部3)の統計では、性嫌悪障害は性障害患者の8.1%(67/827)であり、男性18%(12/67)女性82%(55/67)の男女比であった。
 性嫌悪障害患者の恐怖の対象は、性的刺激に関わる全てのものから、ある特定の限定された対象までさまざまである。主たる性的恐怖の対象として、身体へのタッチ、外性器を見ること、外性器へのタッチ、キス、膣へのペニスの挿入、性的分泌、性的興奮、オルガズム、口唇性交、性的失敗、妊娠、性感染症、裸身をKaplanはあげている。
 恐怖反応および、回避の度合いはさまざまである。限定された対象にのみ恐怖を感じるものでは、それ以外の性交は楽しむことが可能な場合もある。回避していた性的状況になった場合に、ひとたび開始すれば楽しみながらの性交が可能なもの、パートナーに対し怒りを感じながら性交するもの、強い不快感や不安のために性交を中断するものなどがいる。
パートナーがいるが、性的接触を避けるものもいれば、性的接触を避けるためにパートナーを持とうとしない、あるいはパートナーができるような機会を避けるものもいる。
 性嫌悪障害はパニック障害との関連性がKaplan22)により指摘されている。その研究によれば性嫌悪障害の25%がパニック障害を併発しており、38%が非定型のパニック障害の症状を示す。一方、性欲そのものは必ずしも低下しないとされる。Kaplanによれば92%、阿部2)によれば女性の54%に性欲が認められた。
4)診断分類上の位置づけ 
 性嫌悪障害の診断分類上の位置づけに関してこれまで議論がなされ、現在でも問題が残ると思われる。論点は主に性的欲求低下障害との相違と性的欲求障害の下位分類としての位置づけ、の2点からなる。性嫌悪障害が独立した疾患概念として提唱され始めた頃、 SchoverとLoPiccolo36)は、性嫌悪障害と性的欲求低下障害は、性交回避行動の連続体上に位置する概念であり、性的欲求低下障害がもっとも軽度の状態、性嫌悪障害がもっとも重症の状態とし、質的な違いはないと考えた。それに対しKaplan22)は、性嫌悪障害では欲求そのものは保たれているがパートナーとの性的接触が嫌悪感を引き起こし、恐怖症やパニック障害との関連の深いものであり、一方、性的欲求低下障害では性的接触に対しては嫌悪の感情はなくむしろ好みさえするが欲求そのものが低下しているものであり、それぞれを関連はあるものの質的に違う独立した疾患単位だと述べていた。しかし、のちの著作によれば、Kaplan23)は性嫌悪障害と性的欲求低下障害を性的欲求連続体上にともに位置するものと考えている。この連続体は、欲求の程度によって、過剰性欲、正常範囲にある強い性欲、正常範囲にある弱い性欲、軽度の性的欲求低下、重度の性的欲求低下、性嫌悪障害の6段階に分かれるとした。つまり、この著作におけるKaplanの考えは、性的欲求と性交回避の違いはあるが、Shcoverらと同様に、性嫌悪障害と性的欲求低下障害を連続体上のものとして捉えている。また、既述したように性嫌悪障害では性的欲求の低下は必ずしも伴わないにもかかわらず、性的欲求連続体上のもっとも下位のものとしているが、この点は筆者には理解しづらい。これに関連して阿部2)は、性嫌悪障害では必ずしも性的欲求は障害されていなく、むしろ恐怖症状が主であることより、性嫌悪障害を性的欲求障害の下位分類から独立させ、性恐怖障害の分類を別個に設け、その下位分類とすべきだと提唱している。以上述べたように、性嫌悪障害は性的欲求低下障害と質的相違のない連続体上に位置するのか、あるいは、質的に違いパニック障害辺縁系の疾患と捉えるべきなのか、また性嫌悪障害は性的欲求障害の下位分類と位置づけできるのかについて、現在もなお疑問が残されている。今後の研究では、主観的でとらえ難い「性的欲求」という概念に対し、それぞれの研究者ないしは調査される被験者達が共通した認識を有する必要があると思われる。 
    
d.性的欲求に関連するその他の性的問題
 DSM-IVの診断分類には挙げられていないが、性的欲求に関連する性的問題ないしは疾患をいくつか述べることとする。
1)性的欲求の不一致
 性的欲求の正常範囲には幅がある。そのため、個々においては性的欲求が正常範囲内であっても、パートナー間で見た場合にその差が大きければ、性的欲求の不一致desire discrepancies39)となる。例えば、夫は毎日の性交を求めるが、その妻は月に一度程度の性交で良しとする場合などである。Peter32)によれば、セックスセラピー受診者の31%が性的欲求の不一致を主たる問題にしていたという。筆者の経験によれば、この問題を訴えて受診するものの背景には、性的関係以外の一般的な夫婦関係の問題や、パートナー間の過度の年齢差などが考えられた13)。
2)性的回避
 性的欲求の低下や性的嫌悪がない場合であっても、パートナーとの性交を自ら行おうとしない、すなわち性的回避sexual avoidanceを示すものがいる。Kaplan22)による373名の性的回避を示したものの調査では、199名(53%)が性的欲求の低下も性的嫌悪もみられなかった。性的回避の一因として、阿部1)は回避性人格障害を挙げており、パートナーと親密になる能力に欠けるために性的欲求があるにもかかわらず、性交を避けると指摘している。
3)過剰性欲
 過剰性欲Excessive Sexual Driveは一般には、女性の場合はニンフォマニアNymphomania、男性の場合はサチリアジスSatyriasis、ドンファニズムDon Juanismなどと呼ばれ、性的欲求が過剰に亢進している状態を指し、ICD-1038)においては診断分類の一つとされている。DSM-IVでは、有用な医学的証拠が不十分なことより、診断分類としては採用されていない。過剰性欲を一次的に訴えるものはまれであり、二次的には感情障害や痴呆の一症状としてみられることがある。過度にセックスに夢中になったり、強迫的にマスターベーションをする人の多くは、性欲が過剰なのではなく、強迫的、衝動的な性的状態である。彼らは不安と緊張が強い精神状態にあり、性的活動をすることで自己を安定させようと試みている20)。最近では、次に述べる性交依存症として、過剰性欲は論じられることもある。
4)性交依存症
 性交依存症Sex Addiction6,12)は、近年主に米国で提唱されている疾患概念で、アルコール依存症などの他の嗜癖疾患の病態をもとに概念化された。その特徴として、性的衝動の抑制ができず、性行動への欲望にのみ支配され、性行為後の罪悪感にも関わらず性行為をやめることができず、最終的には社会生活や家庭生活の障害を起こす。また、パラフィリアや他の精神疾患との関連も着目されている。我が国では現時点において、この疾患が臨床上問題とされることは少ないようである。
   

2.性的興奮の障害

a.興奮相概念
 前節で記した欲求相に引き続く性反応段階が、興奮相である。
 性行為中の身体的反応を詳細に観察し、記録したMasters & Johnsonは、性反応段階の始まりを興奮相と捉えた。しかし、その後のKaplanらの研究により、興奮相に先立って、身体的変化ではなく心理的変化が主体である欲求相段階が提唱され、興奮相は、その欲求相に引き続く段階として認識されることとなった。
 興奮相段階は、性的快感の主観的感覚とそれに伴う生理的変化よりなる。生理的変化としては、主として性器の血管の拡張により、生殖器官が膨張し、生殖機能を果たすのにふさわしい形となる。その結果、男性では陰茎が腫大し、硬くなり勃起する。同時に陰嚢内容の肥大と、扁平化および精巣の挙上がみられる。全身反応としては、筋緊張があり、乳頭の勃起や、皮膚の斑点形成が見られることもある。女性においては、膣分泌が増加し、膣腔内が湿潤し、ペニスの挿入を容易にする。子宮は拡張し、通常の位置より上昇し、同時に膣も拡張する。クリトリスの勃起が生じることもある。全身反応としては、筋緊張があり、乳房は膨らみ乳頭は勃起する。皮膚の斑点形成は男性より顕著なことが多い。
 興奮相の障害はDSM-IIIでは男女合わせて性的興奮の抑制Inhibited Sexual Excitement であったのがDSM-III-Rより女性の性的興奮の障害Female Sexual Arousal Disorder、男性の勃起障害Male Erectile Disorderに分かれDSM-IVに至っている。
      
b.女性の性的興奮の障害 Female Sexual Arousal Disorder
1)概念
 女性の興奮相の障害が今日のものに概念化されるまでには、他の性機能不全との混乱と混同の歴史があった。インポテンスに対応する女性の性機能障害の用語として古くから知られていたのは冷感症Frigiditityである。しかし、この疾患概念は、今日のオルガズム障害や欲求相の障害を含むことも多く、必ずしも興奮相の障害を指していたとはいえない。また、Masters & Johnson28)の研究においては、女性の興奮相の障害は、独立した一疾患としては扱われていなく、性交疼痛症Dyspareuniaの原因の一つとして、膣の粘滑化不足が挙げられているに過ぎない。その後Kaplan19)により全般的性不全が提唱されたが、当初は欲求相の障害を含むものであった。その後1970年代後半、Kaplan20)の欲求相の認識に伴い、欲求相の障害が分離され、ようやく女性の性的興奮の障害として概念化されることとなった。
 女性の性的興奮の障害は、性反応段階における興奮相の障害であり、その基本的特徴は、DSM-IVによれば適切な潤滑・膨張を伴う性的興奮反応を起こし、性行為を完了するまでそれを維持することが、持続的に、または反復的にできなくなる点である(基準A)。DSM-IVではさらに診断基準として、著しい苦痛または対人関係の困難を引き起こしていること(基準B)、(他の性機能不全を除く)他の第1軸障害ではうまく説明されず、物質または他の一般身体疾患の直接的な生理作用のみによるものでもないこと(基準C)を挙げている(表3参照)。
 女性の性的興奮の障害では、主観的には、性的な快楽やエロティックな感覚をほとんどまたは全く感じない。セックスに対してはさまざまな態度を示し、ひどく嫌うことや、何とも思わないこと、肉体的接触を楽しむこともある。性的欲求の障害やオルガズムの障害に伴うこともあり、また、この障害の結果、疼痛を伴う性交や、性的回避、夫婦関係や性的関係の障害が生じることもある。 
2)鑑別診断
 DSM-IVにおいては、女性の性的興奮の障害は、一般身体疾患や物質によってのみ引き起こされる性機能不全とは区別される。女性の性的興奮に障害を起こしうる身体疾患には、閉経や骨盤放射線療法などに伴うエストロゲン欠如による萎縮性膣炎、中枢性ないしは末梢性の神経疾患、内分泌疾患などがあり、抗ヒスタミン剤、抗コリン剤、降圧剤、向精神剤などの薬物も障害を起こしうる21)。性機能不全が一般身体疾患や物質使用の直接的な生理学的作用のみによるものではなく、心理的要因も関与していると判断される場合には、女性の性的興奮の障害、混合性要因によるもの、と診断される。
 性的興奮の問題が、大うつ病性障害などの他の第1軸診断でうまく説明される場合には、女性の性的興奮障害の診断は下されないが、性的興奮の問題が第1軸診断に先立って存在する場合には、追加診断が与えられる。
3)臨床的特徴
 女性の性的興奮の障害に関する臨床的医学文献はKaplanによるいくつかの文献を除くと乏しい。その理由として考えられるのは、第1にこの障害を主訴に来院するものが少なく、診断されることがまれである点である32,37)。例えば阿部2)の報告によると、13年間の120例の女性性機能不全患者の中にこの障害を診断されたものはいない。第二の理由としては、疾患概念の混乱および診断の困難さである。この障害は従来は一般に冷感症と呼ばれてきたが、これは性欲相の障害や、オルガズム相の障害も含むことが多く、曖昧な疾患概念であった。また、現在のDSM-IVによる診断基準でも、性交時に苦痛を訴えるものに対しては、女性の性的興奮の障害の診断を下すべきか、あるいは性交疼痛症との診断を下すべきか、判断が難しい。DSM-IVの診断基準は、女性性器の生理的反応を主たる拠り所としているが、男性性器と異なり、その客観的検査は困難である。またLeiblum26)は、女性の場合、性器の反応よりもむしろ愛情、信頼、親密感といった心理的側面が性的満足のより強い決定要因であることを指摘しており、性器の反応を主とした診断基準の限界について論じている。第3に研究者の関心の乏しさである。興奮相の障害において、男性側の問題は勃起が男性性のシンボルに関わることから、大きな関心を引いてきたのに対し、女性側の問題はその障害があっても必ずしも性交が不可能ではないこともあり、関心を持たれることは少なかったと思われる。女性の性障害としては、主としてオルガズム相の問題や、膣けいれんに関心が向かっていたと思われる。
 性的無反応の基本力動はKaplan20)によれば次のように定式化される。男性とのセックスに快楽を味わうことに無意識の葛藤がある。この葛藤には、傷つくことへのエディプス的な恐れ、男性に対する敵意、「満足したら拒絶されるのでは」という恐怖、実行不安、性的罪悪感が関与している。これらの性的葛藤に対する防衛が性的反応を妨げる。Kaplanが示したこれらのメカニズムに対して、大川30)は産婦人科医としての立場から、女性の性的興奮障害の背景にある不安として、性感染症や婚外性交や望まない妊娠への不安といったより現実的な面を挙げており、ピル服用で治癒した例があると述べている。病型の違いによる予後に関しては、全般型で、特に生来型のもの、すなわちどのような状況でも相手が誰であってもこれまで全く反応のなかった女性は、性障害の中でもっとも治療が困難であり、他の状況では反応があったのに現在の夫に対しては無反応などの状況型の場合は予後はよいとKaplanは述べている。

c.男性の勃起障害 Male Erectile Disorder
1)概念
 男性の興奮相の障害を示すものとしては、古くからいわゆるインポテンスという用語が広く知られ、医学用語としても用いられてきた。しかし、近年インポテンスは、侮蔑的な意味を含むことや、意味内容も不正確なことより、勃起障害Erectile Dysfunctionという言葉が提唱され、DSM-IVでは男性の勃起障害Male Erectile Disorderが疾患名として採用されている。
 男性の勃起障害は、性反応段階における興奮相の障害であり、その基本的特徴は、DSM-IVによれば適切に勃起し、性行為を完了するまでそれを維持することが、持続的に、または反復的にできなくなる点である(基準A)。DSM-IVではさらに診断基準として、著しい苦痛または対人関係の困難を引き起こしていること(基準B)、(他の性機能不全を除く)他の第1軸障害ではうまく説明されず、物質または他の一般身体疾患の直接的な生理作用のみによるものでもないこと(基準C)を挙げている(表4参照)。
 勃起機能不全の生ずる段階は、性行為の最初から勃起しないもの、挿入を考えると勃起しなくなるもの、挿入時に勃起しなくなるものなど人によりさまざまであり、また、同じ人でも、機会ごとに、勃起機能不全の起こる段階が異なる場合もある。  男性の勃起障害では、主観的な性的興奮および快感の減少や、性の不安、失敗の恐怖、性行為についての心配を伴っていることが多い。性的欲求低下障害や早漏を伴うこともあり、また、この障害の結果、性的回避や、夫婦関係や性的関係の破綻が生じたり、未完成婚(一度も性交がなされていない夫婦)や不妊の原因となることもある。 
2)鑑別診断
 DSM-IVにおいては、男性の勃起障害は、一般身体疾患や物質によってのみ引き起こされる性機能不全とは区別される。勃起機能不全を起こしうる身体疾患には、先天的な外性器異常、多発性硬化症や末梢神経炎などの神経系の障害、血管性の障害、高プロラクチン血症等の内分泌疾患、糖尿病などがあり、降圧剤、アルコール、睡眠薬、βブロッカーなどの薬物も機能不全を起こしうる21)。勃起機能不全が一般身体疾患や物質使用の直接的な生理学的作用のみによるものではなく、心理的要因も関与していると判断される場合には、男性の勃起障害、混合性要因によるもの、と診断される。
 勃起機能不全が、大うつ病性障害などの他の第1軸診断でうまく説明される場合には、男性の勃起障害の診断は下されないが、勃起機能不全が第1軸診断に先立って存在する場合には、追加診断が与えられる。
3)臨床的特徴
 勃起機能の障害を有するものの有病率に関しては多くの研究25,35,37)があり、成人男性の4~9%、青年人口の8%、日本人男性では300万人などとされているが、それらの結果の理解には主として2点の留意が必要と思われる。第一は彼らがDSM-IVにおける診断基準のBを満たすか否かである。例えば、高齢者に対して勃起機能を調査すれば、相当数のもので機能低下を認めるだろうが、配偶者と良好な関係にあれば、必ずしも勃起機能の低下に対して苦悩や困難を抱えているとはいえず、DSM-IVの診断基準は満たさない。第二は、身体性ないしは物質性の勃起障害との鑑別である。身体性、または物質性の、勃起障害に占める比率は各調査により異なるが、近年の検査技術の進歩により勃起障害の多くに身体的原因があることが明らかにされており、その割合は50%を超えるとの報告もある29)。しかし、身体的原因と共に心理的原因を有する患者もおり、混合性要因の勃起障害も相当数あると推測される18,31)。  我が国で勃起障害を訴え受診するものの年齢分布は、10代から高齢者まで幅広いが、30代を中心とする山を示す14,31)。その理由として、結婚による障害の発症ないしは顕在化や、挙児希望が受診動機にあることなどがあげられる。今後、高齢者のQOLに果たす性の重要性が認識されることや、治療法の進歩が高齢者の性的関心を賦活することなどで、より高い年齢層の受診者増加も考えられる。 
         性風俗での失敗や、行きずりの性交がうまくいかないなどの理由でパートナーがいないにもかかわらず受診するものもいるが、受診者の多くは受診の時点で、性的なパートナーを有している。パートナーを有する場合、治療においてはカップルでの受診が望ましいとされるが8,14,19,28)、パートナーに相談しづらい、あるいはパートナーは受診したがらないなどの理由で、単身で受診するものもいる。  DSM-IVにおいて男性の勃起障害は他の性機能不全と同様に生来型または獲得型、全般型または状況型への病型分類が記載できる。生来型、獲得型と同様の意味でMasters&Johnson28)は一次性、二次性との用語を用いていたが、彼らの臨床例では一次性インポテンス(男性の勃起障害生来型)32例、二次性インポテンス(男性の勃起障害獲得型)213例、と二次性が多数を占めた。筆者の臨床76例では、生来型が29例、獲得型が47例であった14)。全般型は特定の状況、刺激、パートナーによらず性機能不全が生じるものを指し、状況型は、特定の状況、刺激、パートナーに限定して、性機能不全を生じる場合を指す。状況型の診断は比較的容易であるが、全般型の診断は必ずしも容易ではない。一人のパートナーとの限られた性経験しか有していない場合、他の状況で性交が可能か否かは不明であるからだ。筆者の臨床例では、状況型には、妻とは可能だが妻以外では障害を生じるもの、あるいはその逆、普段は可能だが妻の妊娠を目的とした排卵日の性交で障害を生じるもの、パラフィリアを合併しており特定の刺激が伴うときの性交(妻が下着を着用したままの性交、女装しながらの性交、第三者に見られながらの性交など)は可能だが、そうでないとうまくいかないものなどがいた15)。
4)成因論
 男性の勃起障害の原因とその結果はしばしば混同され、時に区別が困難である。例えば、男性の勃起障害は、その文化的社会的意味から男性の尊厳を破壊し、二次的な抑うつ状態を引き起こすが、逆にまたうつ病によりその症状として勃起障害が起こりうる。あるいは男性の勃起障害の結果、パートナーとの関係の悪化を引き起こすが、パートナーとの関係性の問題の結果として男性の勃起障害が起こることもある。男性の勃起障害の原因を探るには、注意深くかつ慎重な因果関係の調査が必要と思われる。
 男性の勃起障害の成因論は、他の性機能不全と同じく、個人の問題およびパートナーとの二者関係の問題の二点から主になされている。個人の問題としては、ある時期においては精神分析の立場から、常に深層に潜む葛藤、恐怖、罪責感等の精神病理が関与していると信じられていた。その後、行動療法的技法による治療技術の進展に伴い、「失敗への不安」という直接的表層的な要因が注目されることとなった。この「深層」か「表層」かという二項対立的な議論に対して、Kaplan19)はその原因を表層から深層におよぶ連続体上のものとして捉えた。この考えでは、失敗への不安、性的感情に没頭できないことなどの表層の原因が治療の最初の焦点となるが、そこでうまくいかない場合、その表層の問題を引き起こしている、深層の心理的問題へと治療の焦点が移ることとなる。
 男性の勃起障害が、患者とパートナー間との性交時において発生するという性質を持つことより、患者とパートナー間の二者関係が、原因の一つとして主たる役割を果たすと考えられている。例えば、パートナーから拒絶、怒り、信頼の欠如、失望等の感情を向けられたり、二者関係が不仲なものであったり、コミニュケーションがうまくいかないことが、男性の勃起障害を起こしうる。また罹病期間が長期間にわたると、カップル間に性行動を失敗へと導く悪循環のシステムが形成されていくとKockott24)は指摘している。
5)予後
 男性の勃起障害の治癒率は、治療技法や評価方法が報告により異なるが、カップルに対してのセックスセラピ−を行った場合は60~80%と文献上推測される7,15,17,18,28)。治癒率に対して良好な影響を与えるものには、獲得型であること、罹病期間が短いこと、パートナーが治療に協力的であること、パートナーとの一般的関係が良好であること、治療に熱心であること、カップルで受診することなどがあげられている8,14,16,17,18,20)。

おわりに
 医学の進歩は性機能不全障害の治療に大きな変化をもたらし、性交における身体的生理反応の薬物による制御も可能になりつつある。しかし、性機能不全は身体的な問題だけでなく、患者とパートナーが織りなす関係性の問題、あるいは社会の中で位置づけられた個人が抱く心理的問題でもある。薬物療法が進歩しても、治療者は性の含有する多様な意味を認識し、治療を行うことが必要であろう。
                   

文献 1)阿部輝夫:セックスレス・カップルと人格障害−137例の症例分析から.日本性科学雑誌8,10-23(1991)
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単身受診者

カップル受診者

全受診者

病  型

生来型

18.2 (2/11)

66.7(12/18)

48.3(14/29)

 

獲得型

58.6(17/29)

61.1(11/18)

59.6(28/47)

罹病期間

一年未満

68.0(17/25)

87.5  (7/8)

72.7(24/33)

 

一年以上

13.3 (2/15)

57.1(16/28)

41.9(18/43)

TOTAL

 

47.5(19/40)

68.9(23/36)

55.3(42/76)