こころの医学事典 講談社 2003年 384-389
性機能不全


人間の性反応は、性的な欲求、興奮、オルガズム、最後のリラックスという順序ですすみます。この段階のどこかに障害があるとき、性機能不全といいます。

性的欲求低下障害 Hypoactive Sexual Desire Disorder
性的欲求低下障害とは 性欲、つまり性交をしたいという気持ちや、性的な空想をもつことがなかったり、十分にはないことをいいます。
 性欲の低下が一時的に起こるのは誰にでもあることですが、ある程度の期間続いたときには、障害ではないかと考えられます。
よく発症する年代 性欲がでてくるべき思春期の時からずっと、性的欲求低下障害の人もいます。何らかのストレスや、対人関係の問題などによって、人生のある時期から性的欲求低下障害になる人もいます。
 この障害は男女共に見られるものですが、我が国では「セックスをする気がおきない」と医療機関に訴える女性はまれなようです。
症状 性的欲求低下障害では、通常は自分からは性交などの性的活動をしようとしません。相手から求められたら、断る場合もありますし、いやいやながら応じる場合もあります。また、性欲の低下は、性交に対してのみのこともありますし、マスターベーションもしたくない場合もあります。配偶者などの特定の相手にのみ、性欲求が低下している場合もありますし、誰に対しても性欲が低下していることもあります。
 本人が必ずしも性欲の低下を自覚しているとは限りません。「勃起しない」「ペニスを挿入しようとすると膣が痛む」などのように、性交の別の問題として捉えていて、診察の結果、実は性欲が低下していたことがわかることもあります。
原因 性に対する罪悪感、自分自身がコントロールできなくなることへの不安、パートナーへの怒り、性交がうまくいかないのではといういう不安、他者と過度に仲良くなることへの恐怖などの心理的な原因が考えられます。
間違いやすい病気 内分泌の障害など体の病気によって、性欲が低下することがあります。他の病気の治療のために服用している薬によっても、性欲が低下することもあります。また、性欲の低下はうつ病の症状としてでることもあります。
 
性嫌悪障害 Sexual Aversion Disorder
性嫌悪障害とは パートナーとの性的な接触を非常に嫌って、避けることを性嫌悪障害といいます。具体的には、パートナーとキスや、愛撫や、性交をしたり、しようと考えることを非常に恐がって、そういった状況や場面を避けるようにします。   
よく発症する年代 パートナーとの性的な接触が起こりうる、思春期の始まりと共にずっと、性嫌悪障害の人もいます。パートナーとの関係が悪くなったことをきっかけにしたり、性的に傷つく経験をすることなどによって、人生のある時期から性嫌悪障害になる人もいます。
 性嫌悪障害は男女共に起こりうる障害です。「性交をするのが嫌だ、恐い」などの表現で、医療機関に訴える人は、我が国でも男女共にみられます。
症状 性的な接触を避けようとして、パートナーがいない場合には、最初から恋人を作ろうとしなかったり、恋人ができるような場所(見合い、パーティー、コンパなど)に行かない人もいます。交際中のパートナーがいる場合、性的な話題にならないようにする、夜遅くまでは共に過ごさない、などの方法で性交の機会を避けます。既婚者でも帰宅を遅くする、寝室を別にする、わざと喧嘩をする、酒を多量に飲み酔っぱらう、などの方法で、性交を避けることがあります。
 また、性的なものへの不安や恐怖から、性的な状況において、動悸、めまい、呼吸困難などのパニック発作が起きる人もいます。
原因 過去の性的失敗、過去の性交痛、パートナーとの葛藤、妊娠への不安、中絶経験などの心理的原因が考えられます。
間違いやすい病気 性嫌悪障害にパニック発作が伴うことがあります。その場合、パニック障害の併発も考える必要があります。
 女性の場合、性嫌悪障害は性交疼痛症や膣けいれんといった他の性機能不全との違いがはっきりしないことがあります。性交を嫌悪する理由が、実際に膣が痛いからなのか、けいれんによって性交が障害されているからなのかが、わかりづらいのです。その場合、婦人科を受診して内診の必要があります。
 男性の場合でも、性嫌悪障害があっても、自覚的には「勃起しにくい」ということがあります。この場合は、詳しく面接していくことで、そもそも性的なものへの嫌悪感が強くあるかどうかが明らかになります。

勃起障害 Erectile Disorder
勃起障害とは 性交をするときにペニスが十分に勃起し、持続することができない状態を勃起障害といいます。以前はインポテンスと呼ばれていましたが、インポテンスという言葉は侮蔑的であったり、医学的にも不正確であるという理由から現在では、勃起障害(Erectile Disorder, Erectile Dysfunction)という言葉が使われています。英語の略語のEDという用語は日本でも広く使われだしているようです。
よく発症する年代 勃起障害は、全ての年代の男性で起こり得ます。しかし、結婚をきっかけとしたり、子供が欲しいという希望といったことから、30代の方が医療機関を受診することが多いようです。
 最近では薬物治療が進歩したこともあり、中高年で医療機関を受診する人も増えているようです。
症状 勃起障害は性行為のさまざまな段階で起こります。服を着ている時点から勃起しない人、服を脱ぎ出すと勃起しなくなる人、いざ挿入となると勃起がなえてしまう人、挿入したものの勃起が維持できない人などさまざまです。いつも勃起しない人もいますし、妻などの特定の相手だと勃起しないが他の人とは勃起する人、妻の排卵日になると勃起しない人などもいます。
 勃起障害が重くなると、性交をしたいという気持ちが起きなくなったり、パートナーとの性的接触を避け始めたりすることもあります。
原因 勃起障害は、血管、神経、内分泌などの身体的な原因で起きる場合や、薬の副作用で起きる場合や、心理的な原因で起きる場合があります。心理的な原因として一番多いのが、「性交がうまくできないのでは」という先のことを心配する不安です。また、「うまくいかないことでパートナーから嫌われるのでは」という恐れや、「つい冷静になって自分を第三者のような立場から見てしまう」という傍観者のような態度も原因として多くあります。
間違いやすい病気 心理的な原因で勃起障害が起きる場合は、睡眠中の勃起やマスターベーションの時の勃起は問題がありません。しかし、身体的な原因があるかどうかをはっきりさせるには、泌尿器科での検査を必要とします。
 また、性的欲求低下障害や性嫌悪障害の場合で、性交をしたくなかったり、性交を避けているときには、勃起障害も起こりやすくなります。

男性オルガズム障害 Male Orgasmic Disorder
男性オルガズム障害とは 性的活動中、勃起のあとに続くオルガズムが遅れたり、なかったりすることを男性オルガズム障害といいます。通常は射精が遅れたり(いわゆる遅漏)、性交では射精ができなかったりします。
症状 多くみられるものとして、パートナーからの手や口唇による愛撫だと射精できても、膣内では射精が困難というものです。またマスターベーションでのみ射精ができる、あるいは、夢精のみあるという人もいます。
 なお、手術等によって、前立腺や精嚢を失っている男性でもオルガズムの感覚は保たれていますし、精液の排出がない場合でもオルガズムは可能です。
原因 不安、葛藤といった心理的な原因以外に、問題のあるマスターベーションが原因のこともあります。たとえば、手でペニスを刺激するのではなく、布団やカーペットにペニスをこすりつけてする方法や、非常に強い力でペニスを握りマスターベーションをする方法などです。
間違いやすい病気  マスターベーションでも射精ができない場合は、心理的原因よりも、 身体的原因を疑い、泌尿器科での検査が必要です。

早漏 Premature Ejaculation
早漏とは ペニスを膣に挿入する前や、挿入時、あるいは挿入した直後に、本人が望んでいないにも関わらず、ごくわずかな刺激で射精してしまうことを早漏といいます。
症状 早漏では、射精がうまくコントロールできず、性交時において本人の希望より早く射精してしまいます。多くの場合に、マスターベーションではやや長めに射精までの時間が持てますが、マスターベーションでもすぐに射精する場合もあります。また、性交の時にアルコールを飲んで射精を遅らせていた人が、アルコ−ルを飲まずに性交した場合に早漏となることもあります。
原因 早漏は、性行為への不安といった、心理的な原因も関与しますが、多くの場合は、性交経験の乏しさが大きな原因であり、若い男性でよくみられます。一般的には性交経験を積むにつれて、射精のコントロールをおぼえていきます。また、若者でなくても、性交経験や性交の頻度が乏しい場合や、新しい相手との性交で強い刺激がある場合などには、早漏となることがあります。

女性の性機能不全 Female Sexual Dysfunction
女性の性機能不全とは 女性の性機能不全には、性的欲求低下障害、性嫌悪障害のほかに
女性の性的興奮の障害、女性オルガズム障害、性交疼痛症、膣けいれんがあります。
女性の性的興奮の障害 性行為の時に、膣が十分に潤って拡がることができないことを女性の性的興奮の障害といいます。男性の勃起障害に相当します。膣が十分に潤って拡がることのないままに、ペニスが挿入され、性交が行われると、非常に苦痛なものとなります。
 原因としては、性交に対する不安、恐怖、パートナーとの葛藤などの心理的な原因と、更年期や閉経後のエストロゲン低下などの身体的な原因が考えられます。
女性オルガズム障害 性的活動中に性的興奮に続いて起こるオルガズムが、遅れたりなかったりすることを女性オルガズム障害といいます。性的な気持ちを抑えつけるなどの心理的な原因で、オルガズムの障害が起きることもありますが、多くの場合には性的な経験や知識が増えるにつれ、オルガズムの能力は強くなり、オルガズムに達することを知るようになります。
性交疼痛症 性交の最中や、性交の前や後で起きる性器の痛みを性交疼痛症といいます。この障害は男性、女性ともに起こりうるものですが、女性のほうが多数を占めます。
 痛みの程度は軽度のものから、性交が我慢できないものまでさまざまです。性交を考えただけで痛くなる、あるいは性器部分を触れようとしただけで痛みを感じる人もいます。痛みの場所としては、膣の入り口付近と骨盤内部が多いです。
 女性の性交疼痛症は、性的興奮の障害があり、膣の潤いや広がりが不十分な場合に多く起こりますが、その他の身体的疾患や、パートナーや性行為への嫌悪や恐怖といった心理的な原因でも起こります。
膣けいれん ペニスや指やタンポンや膣鏡などを膣に入れようとしたときに、膣の外3分の1の部分の筋層に不随意なれん縮が起こることを膣けいれんといいます。この膣の筋収縮によって、多くの場合は、ペニスの挿入ができず性交は妨げられます。この筋収縮は通常は婦人科の診察により確認されます。
 原因としては、性に対する否定的態度や性的な外傷体験、初回性交の痛みへの恐怖といった心理的なものが考えられます。

性機能不全への治療・対処
治療と経過 
・薬物療法 勃起障害に対しては、主にクエン酸シルデナフィル(バイアグラ)を用います。70~80%に効果があるとされています。性嫌悪障害などの、不安や恐怖の強い性機能不全の場合には、抗うつ薬や抗不安薬を用いて効果のあることがあります。早漏に対しては、抗うつ薬が効果があることがあります。
 なお、「性機能回復に役立つ」ことをうたい文句にした精力剤のたぐいが、通信販売等で売られていますが、効果のないものや有害なものもあります。使用するときは医師と相談すべきでしよう。
・精神療法 話を聞いていく中で、性に対する、不安や葛藤の気持ちを明らかにしていきます。また、性に対して、誤っていたり、歪んだ考えを抱いている場合には、それを適切なものへとしていきます。
 夫婦、恋人同士など、カップルの関係性が悪化していることも多いので、二人の関係が改善するように、カップルで来院してもらい精神療法をすることも多いです。
・行動療法 全ての性機能不全に対して、原則的にはカップルで、感覚集中法という訓練をしてもらいます。これは、性器の結合を目的とはせず、互いに相手を愛撫しあい、どのように感じるかをよく言葉で伝え会うようにしていくやり方です。この方法に熱心に取り組めるカップルはその後の経過も良好なことが多いです。
家族や周囲の人の対処法 周囲が「子供はまだか」とプレッシャーをあたえたり、「あの男はマザコンだからうまくいかないんだ」「あの嫁がちゃんと夫をたててあげないからだめなんだ」と互いの家族が相手に責任をなすりつけあうことがあります。これらのことは治療的には望ましくありません。カップル二人が治療への意欲がある限り、むやみに干渉せずに、静かに見守っていくことが大切です。
予後と生活のアドバイス 性機能不全は、一人だけの問題ではなく、カップル二人の問題です。性の話題を恥ずかしいものと思わず、二人で率直に自分の気持ちを伝えあいましょう。そして、性器の結合にばかりとらわれるのではなく、互いの気持ちを伝え、楽しむという、セックスのもつプラス面を二人で伸ばしていくようにしましょう。
 日常生活では、適切な食事・運動・睡眠、節酒・禁煙につとめましょう。



脚注1
性交依存症 Sex Addiction
 性交依存症は、近年主に米国で提唱されている疾患で、アルコール依存症などの他の嗜癖疾患の病態をもとに概念化されました。
 特徴としては、性的衝動を抑えることができないこと、性行動への欲望で頭の中がいっぱいになっていること、性行為後に罪悪感を感じますがそれでも性行為をやめることができないこと、最終的には欠勤や仕事の能率の低下といった社会生活上の障害や、離婚や夫婦の不和といった家庭生活上の障害を引き起こすことがあげられます。
 また、性交依存症によって、買春を繰り返したり、性的な犯罪を引き起こしたりすることもあります。
 日本でも、性交依存症だと診断される方も最近ではいるようです。

脚注2 性交の目的
 性交の目的としては、子供をつくるという生殖が、通常の場合あげられています。しかし、人間にとって性交とは、生殖だけでなく、コミュニケーションの手段、楽しみ、さらに生活の質(QOL)を良くし、自尊感情を高めていくといった目的や意義があります。 実際に現代の日本で、生殖目的に性交をすることは数えるほどしかなく、圧倒的多数はその他の目的での性交です。
 性交のこれらの目的や意義を理解すれば、高齢者や、病気や手術によって生殖能力がない人における性の大切さ、夫婦間のセックスレスの問題性が分かると思います。
 また、人間における生殖以外の性交の重要性への理解にともない、生殖とは結びつかない同性愛も、現代の医学では異常とは見なされていません。
 1992年に世界保健機構は「同性愛はいかなる意味でも治療の対象とはならない」と宣言したのです。

脚注3
性暴力
 次のような性行動を性暴力といいます。
1)同意がないままに行われる性行動
2)二人の間に平等性がないときに行われる性行動
3)強制による性行動
 同意がないとは、気付かれないように裸をのぞいたり、はっきりイエスがないのに、性行為におよんだりすることです。
 上司と部下、先生と生徒、親と子などのように力関係があり平等ではない二人で、強者から弱者へとなされる性行動も性暴力です。
 また、力づくや脅しといった強制による性行動も性暴力です。
 男性がある程度の強引さや力強さがあって良しとすべし社会では、知らず知らずのうちに性暴力の加害者になったり、加担者になったりします。
 性暴力が被害者に与える心の傷は相当なものです。社会全体が性暴力への認識を深め奥のない世の中にしたいものです。